信仰義認と行為義認 – パウロ神学を再検討する

人は信仰によってのみ義とされる

信仰義認説と行為義認説

キリスト教では、「救いは行為によるのではなく、信仰による」という理解の仕方があります。

こうした「信仰による救い」を神学用語では”信仰義認説”と言います。

一方、「行為による救い」を”行為義認説”と言います。

とくにプロテスタントでは、「信仰のみ」を強調します。宗教改革者マルティン・ルターの主張ですね。

もっとも、ルターの思想の原点は、「パウロの再発見」にありますので、元をたどれば、これはパウロ神学にあると言えるでしょう。

ところが、パウロには下記の言葉があります。

神はおのおのの行いに従ってお報いになります。すなわち、忍耐強く善を行い、栄光と誉れと不滅のものを求める者には、永遠の生命をお与えになり、反抗心にかられ、真理ではなく不義に従う者には、怒りと憤りをお示しになります。(ローマの信徒への手紙2:6-8)
*太字は高田

この聖句によると、「信仰のみ」ではなく、「行い」が求められていますので、ここでは、行為義認説を説いているように感じられます。

聖書というのは、通して読んでみると、ひとつのテーマについても様々な記述をしています。

なので、ある意見をたて、それについて該当の聖句を引用しておくと、なんとなく「それらしく」主張を裏付けることができます

ところが、それとは逆の意見をたてて、べつの聖句から根拠付けることも可能なのです。

上記はその一例ですね。パウロは「行為による救いを説いていた」という主張をして上記の聖句を挙げておけば、一応は整合性がとれる寸法になっています。

一方、ルターに関しては、彼の主張である「信仰のみ」を徹底させるため、聖書をドイツ語に翻訳する際に、原文にない文言を補っていたりします

ローマの信徒への手紙の第3章28節では、

人が義とされるのは(中略)信仰による
*太字は高田

と書かれています(新共同訳)。

ルター訳ではここのところが、

人が義とされるのは(中略)信仰のみによる
*太字は高田

というふうに、「のみ」の文言が付加されています。

これはもちろん、ルターの主張であるところの「救いは信仰のみによる」という文脈の強化で、原文にはない文言を追加しているわけですね。

これは、当時のローマ・カトリック教会からの反撃の焦点になったところでもあります。

信仰は行為の一部

私の考えを先に書いておきます。

信仰と行為というのは、そんなにハッキリと分けられるものだとは思いません

「思い」というのも広い意味で「行為」の一部です。

思い即行為

あるいは、「行為のエッセンシャル(本質的)な部分が信仰である」とも言えるでしょう。

なので、パウロ神学に関して、「信仰か、行為か」という二者択一の議論そのものが不毛であるように思われます。

パウロが、「救いは行為によるのではない」という主張をする場合、たいていは、ユダヤの律法の遵守と関連付けられていることに注意すべきだと思います。

上に挙げたローマの信徒への手紙の第3章28節でも、(中略)部分を復元して引用してみると、

人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく信仰による
*下線と太字は高田

となっております。

つまり、パウロとしては、(イエスがそうであったように)、律法でがちがちに縛られていた当時のユダヤ教への違和感がまず、あったのでしょう。

そして、律法を守りきれない人々は社会から阻害され、差別を受けていました。

一方、そもそも「思いまで厳密に含めれば、律法を守りきれるのか?」という厳しい観点からは、

人間は律法を完全に全うできるほど強くはないし、にも関わらず、形式的に律法を守ることにより、傲慢な人間ができあがってしまうことへの懸念、ですね。

この傲慢さがむしろ、人を神から遠ざけていると。パウロは自身の経験にも照らし合わせて、そのように考えたのだと思います。

なので、パウロが「行為による救い」を否定する場面は、「形式的に律法を遵守して救われた気になっている人間の傲慢さ、その傲慢さが結局、自己を神から遠ざけてしまう逆説」というコンテクストにおいて主張されていることに注目すべきでしょう。

そもそも、パウロが「行為」を軽視しているのであれば、大量の手紙を各教会に送る必要はないわけです。

各教会における信徒たちのふるまいに警告を発するために、パウロの書簡は書かれていますからね。

パウロ

なので、パウロの信仰義認論というのは、行為を除外もしくは軽視しているのではなく、むしろ、「キリスト・イエスへの信仰を前提とした行為」「行為を含めたところの信仰」について語っていると捉えるべきだと思います。

一言でいえば、

 信仰の具体的展開が行為

というふうに理解すれば良いと思います。

「信仰か、行為か」という、「あれか、これか」という議論そのものが不毛で、まあここで、仏教的な「中道」という言葉を出して良いかどうか分かりませんが、結果的にはそういうことです。

仏教の話がでたついでに、というわけでもありませんが、この「信仰と行為」について、八正道で点検してみましょう。

八正道は8つの内省の徳目が挙げられていますが、これらはバラバラに8つ並べられているわけではありません。

八正道の最初の4つを検討してみましょう。それぞれの順番と意味は下記のとおりとなっております。

  1. 正見(しょうけん):正しい見解と、その前提にある仏法僧への帰依(信仰)
  2. 正思(しょうし):正しい思い、思考。
  3. 正悟(しょうご):正しく語る。
  4. 正業(しょうごう):正しく行為する

そして、これら4つは上述したように、バラバラに4つ並べれているわけではなく、信仰から行為へ至る順序になっていることに注目してみましょう。

正しい信仰(三宝帰依)に基づいた価値観(特に縁起の理)があれば(正見)⇢正しい思い、思考を持つことができる。貪瞋痴(とんじんち)の三毒から離れることができる(正思)⇢そうすれば、正しい言葉(正語)を語り、正しい行為を成すことができる(正業)

…といったふうに、論理的な順序になっていることに注目です。

言い換えれば、正見以外の7つは、正見の具体的展開、あるいは、正見の内容そのものであるとも言えます。

ここにある思想は、信仰・価値観と思いと行為はべつべつのモノではあり得ない、という仏陀の(論理的)思考です。すべては論理的に、縁起の理(原因結果の法則)にしたがって有機的に関連付けられているというわけです。

八正道について、より深く学びたい方は下記の記事をご一読下さい。

 *参考記事:八正道の意味と覚え方のコツ – ”縁起”でかんたんに理解できる

いきなり、仏教の教説へ飛んでしまいましたが、上記のような論理性すなわち縁起の理は、一言でいえば「原因結果の法則」であり、用語は違えどもキリスト教においても認められている考えです。

人は、自分の蒔いたものを、また刈り取ることになるのです。(中略)たゆまず善を行いましょう。飽きずに励んでいれば、時が来て、実を刈り取ることになります。(ガラテヤの信徒への手紙6:7-9)

この引用の下線部分はまさに、「原因と結果の法則(縁起の理)」そのものです。

原因結果の法則

また、続けて、「たゆまず善を行いましょう」とハッキリ書かれていることにも注目です。

ここにもパウロの真意、すなわち、「行為義認は信仰義認の内容である」という思想が明らかに見て取れるでしょう。

「神の自由の絶対性」についてどう考えるか?

信仰義認論が出てくる背景に、「神の自由の絶対性」が挙げられるでしょう。

つまり、「人間の行為により救われるか?救われないか?が左右されるならば、それは神の自由を制限することになる」という考えがあります。

カルヴァンの予定説なども、この思考の延長線上にあるでしょう。

しかしこの考え方は、まだ哲学的な思考の詰めが甘いのです。

神が絶対であるならば、神は全体であり一でなければなりません。ゆえに、人間を始めとする個々の存在は神の内部にあるのです。

そして神の自由意志、仮に”善意思”と名付けましょうか。善意思は人間などの個々の存在にも分有されています。そのように考えないと、神の内部に「神でないもの」があることになり、神の絶対性が阻害されるからです。

この場合、悪の存在が問題となりますが、これはある一定の時間的・空間的制限のなかで生じている”現象”に過ぎません。

 *参考記事:全能の神が創った世界になぜ悪があるのか? – 神義論への最終回答

「人間が善い行いをする」というときは、この分有されているところの善意志が発動しているときなのです。なので、それは神の善意思(全体意思)を侵害することにはならないのです。

これを多少、詩的な表現に変換して「救いは神の恵みによる」となっているだけなのです。

したがって、「行為により救われるか?救われないか?が決定される」というのも、神の自由の絶対性と矛盾しません

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