容姿・外見・雰囲気はスピリチュアル的に霊格に比例するのか?

見た目

人間はこの世(現象界)だけで見ると、さまざまな「生まれつきの不平等」を被っているように見えますが、容姿や外見もそのうちのひとつでしょう。

スピリチュアルに興味のある方であれば、「なにか前世のカルマで、容姿がわるく生まれてきたのか?」とコンプレックスを感じている方もいらっしゃるかもしれません。

目次

容姿や外見は、基本的に霊格には比例しない

”不細工”であっても霊格が高い人は歴史上にいくらでもいる

結論的に言えば、容姿や外見は、基本的には、カルマや霊格には関係しません。その人の「印象全体」を離れて、単なる外形だけを問題にするのであれば、そのように言い切れます。

その証拠に、霊格がものすごく高くても、容姿が良いとは言えない人はたくさんいます。

地球系で最高レベルと言っていいほど霊格が高いソクラテスであっても、彫刻をみる限りでは、容姿が良いとは言えないでしょう。

ソクラテス

ソクラテス

もっとも、古代ギリシャと現代では美の基準が違う、という意見もあるかもしれませんが、それでも同時代(古代ギリシャ)の彫刻をいくつか並べてみてみると、やはり、ソクラテスは容姿的には「良くない」ほうに分類されるのだろうな、と納得してしまいます。

奴隷解放の父、アブラハム・リンカーンも相当に霊格が高い方だと思いますが、ご本人は容姿にコンプレックスを持たれていたようです。

それから、容姿といえば、”体格”の問題もあります。

あるスピリチュアル系サイトを見ていたら、「霊格が高いと体格もいい」と書いてあったのを読んだことがありますが、これも当たらないと思います。

ナポレオンは”ナポレオン・コンプレックス”という言葉があるくらいに背丈が低かったですし、東洋では老子も背が低かったと言われています。

このように、スピリチュアル的に観て、”見た目”は霊格とは関係がないという例は、歴史上の人物でいくらでも実例を探し当てることができます

逆に、容姿・外見が良い=霊格が高い、のであれば、芸能人はほとんど(容姿の欠陥を売りにしている方、悪役の俳優などを別にして)霊格が高いことになってしまいます。いくらなんでもこれはないですね。

人気商売と霊格はやはり直接的な関係はない、と言えます。

外見に印象までも含めれば、霊格に関係してくる

ただし、見出しに「基本的に」と但し書きをしたのには理由があります。

俗に「内面の美」とか「笑顔は七難隠す」と言われますが、容姿といっても、内面から滲み出してくる”印象”も含めれば、こちらのほうはやはり霊格に関係はある、とは言えるかと思います。

「内面から」ということで言えば、そもそも、人間の本質は個性エネルギーで、あの世(実在界)のほうが本来住むべき世界です。この世(現象界)は仮の世界です。

*参考記事:人生の意味とミッションとは? – 最勝の成功理論を明かします

そして、実在界でも上の方へ行けば行くほど、日常的に人体の姿をとっていませんので、そもそも容姿・外見も何もあったものではない、という観点がありますね。

実在界において、方便として、人体の姿を取る場合は、説得力・救済力を高めるために美しい姿で現れたりすることがあります。

むしろ、地上にいる人間が、ある特定の美的価値観に憧れる理由は、そうした「方便としての天使たちの姿」が魂の記憶として残っているからだとも言えるでしょう。

ただ、天使(菩薩)たちの立場から言えば、そうした姿はあくまで方便でありますので、そもそも地上的な意味での容姿・外見には興味はありません。

ちなみに、「心が綺麗であれば霊界での容姿も美しいのか?」という論点については、半分正解・半分不正解が実情かと思われます。

半分正解というのは、霊的な認識が進むと外見もある程度自由に変えられますし、そこまでいかなくても、「心の内容にふさわしい外見」に近づいてゆくのは事実です。

なので、天国領域では、地上に比べれば、ずっと美しい人達が多いということになります。もっとも、前述したソクラテスのような方だと、「生前と同じ容姿でないと、ソクラテスだということが分からない」ということもありますので、そういうあまりに霊格が高い方はまた話が別です。

一方、地獄領域では、「心の内容にふさわしい外見」ということで、たとえば、人を騙すのが好きな人は狐的な容姿に変化したり…というのはあります。これがいわゆる”畜生道”ということになるのですけどね。

そうした畜生道に何百年もいると、もはや人間であったことも忘れ果ててしまう。そういう魂もけっこういるかと思います。

カルマの例外

もうひとつは、カルマの例外もあります。

差別になってはいけないのですが、外見が生まれつき損傷した状態で生まれてくる方もいらっしゃいますね。

そうした方の中には、たとえば、過去世で戦争において敵方を沢山殺してしまったということについて過剰に悩まれ、あえて、修行課題としてそのような障がいを持って生まれてくるケースがあると思われます。

ただし、カルマと言っても、「前世に善行を積んだから美人、悪行を積んだから不美人」ということではない、ことに留意が必要です。

容姿・外見も磨かれた実力のひとつ

輪廻転生の観点を入れると嫉妬心・コンプレックスが消える

「容姿:外見も実力のひとつ」と申し上げると、上述したことと矛盾だと感じられる方もいらっしゃるかもしれません。

しかし、実力には「良い実力」と「わるい実力」がありますので、これはやはり霊格とは別問題です。

実力、というのは要するに、輪廻転生(りんねてんせい/りんねてんしょう)の過程で、長らく「容姿・外見を良くしよう!もっと綺麗になりたい!」と決意して、努力してきた場合のことです。

とくに、俳優やモデル業などを魂のライフワークにしている方であれば、過去世からの努力・蓄積が効いて、容姿・外見に恵まれているケースは多いでしょう。

つまり、容姿や外見についても、「輪廻の過程において、努力相応の世界が展開している」と言えるということです。

輪廻転生

今回の人生だけで見ると、不平等に見えても、「過去世からの努力・工夫の蓄積が効いているのだ」ということであれば、これは”公平”という観点が入りますので、不平等とは言えないことになります。

これは容姿・外見に限らず、あらゆることに言えます。

算数がよくできる子は、過去世においても算術をマスターするのに精を出してきたことが効いているわけです。

このように、輪廻転生の観点を入れると、「すべては努力相応の世界が展開している」ということで、嫉妬心・コン王レックスを解消することができます。これはかなり大事な考え方です。

*参考記事:
リンカーネーション(輪廻転生)とは?その意味と目的を解明する
自由と平等の矛盾・対立を解消するのは”輪廻転生”の思想

容姿・外見も良くしていくことができる

上記のように、「輪廻の過程での努力相応」というふうに考えれば、今後、容姿・外見を良くしていくことが可能であることが分かります。

容姿や外見も、「自己表現の一端」と捉えて、磨きだしていく方向もひとつの道ではありますね。自らの外観を芸術表現のひとつとみなすわけです。

ただし、これも「三日坊主」ではダメで、長い期間、思い(念)を継続して、実際に努力・工夫していく必要があります。

今回の人生で生まれ持った容姿・外見の範囲内ではありますが、そのなかで、ダイエットやメイク、ファッションなど、できる限りの努力をしていくことですね。

そして、当サイトで真理スピリチュアルを学べば、とくに霊界においては「思いはすぐに実現する」世界ですので、容姿・外見を一気に引き上げていくことも可能であることに気づくでしょう。

そうすると、仏教で言うところの”色心不二(しきしんふに)”の理論、すなわち、「肉体と心は相互に影響を与え合う」の法則が適用され、次回、地上に生まれるときも、前回よりは美形に生まれることは十分、可能だと思います。

そういう意味では、「生まれてくる前に容姿を決めてくる」ということを主張するスピリチュアリストの方もいらっしゃいますが、私はこれはほとんどありえないと思っています。

そのようなことができるのであれば、全員が全員、美男美女であることを選んでしまいますよね。

遺伝の要素と実力の関係

容姿についてはあともう一点、遺伝の要素。つまり、本人の実力とは別に、親や家系の影響があるのではないか?という論点もあります。

結論的には、こうした遺伝的な要素ももちろん否定はできないでしょう。実際に、「親にそっくりだ」と言われることもあるかと思います。

遺伝

ただここで押さえておくべき考え方は、「そもそもどうして親に似るのか?」「親に似ることを肉体的な観点からだけで説明できるのか?」というところです。

実際は、純粋に肉体的・外形的な遺伝ももちろんあるのですが、「親に似る」ということは、実は「親と魂の出自が近いから」という理由もあるのです。

つまり、あの世(実在界)において、(その似ているほうの)親と住んでいる霊域が同じか同系統のラインにあり、その価値観が容姿・外形に現れている、ということですね。

ただもちろん、そうした要素が100%というわけではなく、本人の自覚や努力、価値観がもっとも関係していることには変わりはありません。

親よりも過去世の自分に似ている

上記の考え方、「価値観が近いと容姿・外見が似てくる」を敷衍していくと、実際は、親よりも、「過去世の自分に似ている」ほうが強くなります。

ネオ仏法では、潜在意識=過去世=守護霊という考え方を採ります。

したがって、親よりも「自分の過去世や守護霊に容姿・外見が似ている」要素のほうがむしろ大きいのです。

*参考記事:守護霊の交代はあり得るのか?「守護霊が強い」とは?

美形であれば得とは限らない

そうは言っても、容姿・外見が良ければ万事よし、というわけでもないことに注意が必要です。

対人関係、異性関係、就職…その他で、「美形のほうが有利」とよく言われますが、まあその範疇ではその通りなのかもしれませんが、実際はメリットあればデメリットもあり、でして、例えば、

  • 慢心に繋がりやすい
  • 念を受けやすい
  • 異性関係がにぎやかになり、転落の危険がある

などの特徴は出てくることがあります。

最終的には、心の内容がイコールあなた自身ですので、美形に生まれた結果、慢心するのであれば、あなたの価値は「慢心する人」ということになってしまいます。

あとは、異性にあまりにモテ過ぎると、欲望の念をたくさん受けて体調不良になりやすいこともあります。

さらに、三角関係・四角関係…など異性関係がにぎやかになりすぎると、これはこれで堕地獄のもとになってしまいます。

私としては、個人的には、ですよ、容姿・外見については、「神的実在のある側面に似ていこうとする自らの魂の価値観が外見・雰囲気に滲み出してくること」が大事なのかな、と思っています。

価値観

スピリチュアル的には、「オーラが変わる」とか「雰囲気が変わる」と言われていますが、俗な言葉で言えば、「内面の美が滲み出してくる」ということですね。

そもそも、「内面」がこの世とあの世を貫いて本当のあなた自身であり、容姿・外見はこの世限定のものです。やがて脱ぎ捨てていくもの、過ぎ去っていくものです。

過ぎ去っていくものに過度の執着をして何ほどのものがあるでしょうか?

そうであるならば、やはり、内面に重きを置いて磨きをかけていくことが肝要です。

当サイト、ネオ仏法ではそのための核心部分、神的実在から降りてきているところの真理をたくさんお伝えしております。

まだ学んだことがない方は、まずは、「人生の意味とミッションとは?」シリーズなどを手始めに学びを始められることをお勧めいたします。

広告

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

【菩薩になる方法】無料プレゼント

関連記事

コメント

コメントする

目次