縁起の理とは何か – 「存在と時間」

縁起の理法

「縁起の理」を「時間と存在」に分けて考える

当サイトでは、今まで縁起の理=原因結果の法則ととりあえず説明してきましたが、今回はテーマに沿って深堀してご説明したいと思います。

  1. 時間における縁起・・・原因・結果の法則

  2. 存在における縁起・・依他起性(えたきしょう)
    *依他起性…存在は相互依存にて有ることができる性質を持つ

1.の「時間における縁起」は今までご説明してきた縁起ですね。物事には原因があって結果があるという法則です。

より具体的には、因縁生起(いんねんしょうき・いんねんせいき)という言い方がされることもあります。これは、原因を直接原因=【因】と間接原因=【縁】に分けて考えるわけです。

たとえば、花が咲くには、

  1. 種を蒔く【因】
  2. 水・養分・太陽【縁】
  3. 花が咲く【生起】

といった順序になりますね。すなわち、【因】と【果】を媒介するのが【縁】ということになります。そういう意味で、因縁果報と言い換えても良いでしょう。

いずれにしても、過去→現在→未来の時間軸の流れのなかで物事がいかに生起していくか。これが「時間における縁起」ということになります。

さらに言うならば、「時間における縁起」は智慧に繋がってくるということも考えられます。

すなわち、

  • 過去→現在・・・現在の自らの(あるいは他人・社会・国家でも)状態を作り出しているものとして、過去に【因】と【縁】がある、と考えます。そうした原因・結果のリンクを塾考していくと智慧が得られるわけですね。これは八正道の内省や十二因縁でも使われている縁起の理法です。
  • 現在→未来・・・これは、現在に良き【因】を蒔いておけば、未来に良き【果】を生むというふうな自己実現理論にも使えますね。実際に聖書の「蒔いた種は刈り取らねばならぬ」という言葉から、プロテスタンティズム以後、アメリカにてニューソートやクリスチャンサイエンスの運動が起きております。そうした運動の結実が、たとえば、ナポレオン・ヒルの『思考は現実化する』といった書物に繋がっているわけです。つまり、米国流の自己実現理論も、仏教の広大な理論体系の一部に収まってしまうというわけです。

2.の「存在における縁起」は依他起生、すなわち、あらゆる存在は互いに依存(いそん)して仮に存在しているという考え方です。

たとえば、今あなたが存在していられるのも、空気(酸素)があるからです。

そしてその酸素はまた植物の炭酸同化作用によって生み出されています。さらに、その植物は水や太陽を縁として炭酸同化作用を起こしていますね。

このように、あらゆる存在は、それ自体では存在できず、相依って、依存し合いながら有ることが許されている。こうした「存在における縁起」は愛の思想に繋がっていくことになります。

仏教的に言えば、慈悲の思想ですね。

まとめますと、

  1. 時間における縁起の理…原因結果の法則→智慧の思想へ(知)

  2. 存在における縁起の理…依他起生→慈悲の思想へ(愛)

ということになります。

三法印と縁起の理

そして、ここで、仏教の教えの旗印であるところの三法印(さんぽういん)に従ってさらにまとめてみましょう。

三法印とは、

  1. 諸行無常(しょぎょうむじょう)
  2. 諸法無我(しょほうむが)
  3. 涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)

の3つでした。

諸行無常(しょぎょうむじょう)は、「一切の物事は変転・変化していく」、という時間論のことですよね。

そして、「諸法無我(しょほうむが)」は、上述の依他起性で述べたように、「一切の物事はそれ自体では在ることができず、相依って仮に在ることができる」という存在論のことです。

ということは、今回の学びをまとめてみると結局、

  • 諸行無常:時間論的縁起→智慧へ
  • 諸法無我:存在論的縁起→慈悲へ

ということになりますよね。

さらに、三法印の最後には、涅槃寂静があります。

これは私たち一人ひとりの「実存」が、なにゆえに智慧の獲得と慈悲の発揮が要請されているか?ということに関わってきます。

「智慧も慈悲も大変ですよ(汗)」というのは一面の真理ではありますが、それでも、何度でも生死を繰り返し、輪廻の過程にある理由は、やはり、私たち一人ひとりも、「智慧の獲得と慈悲の発揮」を根本的に求めている、ということです。

つまり、これは真実の意味での幸福論なのですね。

したがって、私たちひとりひとりの実存は最終的には、やはり幸福であることを欲している、という当たり前の結論になります。

ただし、人間は現象界に生きていると、どうしてもその幸福の内実・内容を見失いがちです。肉体的自我意識の影響で、上で述べたような諸行無常・諸法無我を忘れ去ってしまいます。

ゆえに、その大切な内実をキチッと意識して生きること。つまり、「智慧の獲得と慈悲の発揮」を内実とするところの幸福論こそが、じつは「涅槃寂静」ということになります。

一般的な仏教の涅槃解釈とだいぶ違っていますが、やはり、従来のような「輪廻からの解脱(げだつ)が涅槃である」という解釈では、あまりにも後ろ向きだと思います。

そうではなくて、むしろ、輪廻を積極的に活用していく、その意義を読み込んでいくことをベースにした涅槃解釈であるべきだと思います。

そして、この涅槃解釈がネオ仏法がいわゆる狭義の「仏教」を乗り越えていく契機になると思っています。

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