今回のテーマは仏教の認識論です。
ごく一般的な認識論の基礎は、「認識論ー対人関係にも生かせる哲学」という記事で書いたことがあります。
簡単に復習すると、主体と客体の関係は、
主体→→→→客体
という単純な図式ではなく、
主体→→認識の世界→→客体
というふうに、「認識界」が介在しているのだ、ということでした。
実は、ここまで理解できていれば、仏教における認識論もそんなに難しくはないんです。難しいのは漢字だけ。笑
六根(ろっこん)
上記の「主体」(われわれ人間とする)に相当する部分が六根ということになります。
千日回峰などで、「六根清浄、六根清浄・・・」と唱えて修行していらっしゃる方もいらっしゃいますが、この六根清浄の六根です。
六根とは、眼・耳・鼻・舌・身・意(げん・に・び・ぜっ・しん・い)の6つです。
要は、人間の感覚器官を6項目に分類しているのですね。
眼・耳・鼻・舌・身までは、漢字の意味そのままなのでお分かりかと思います。
意は意識の意ですね。
つまり、眼・耳・鼻・舌・身の五官で感知した情報を統合的に判断する意識のことです。
十二処(じゅうにしょ)
主体が六根でありますので、認識の対象である「客体」が存在しますね。
その主体の六根の6種類に対応する「客体」の6種類を足して十二処と呼んでいるのです。
客体の6種類が、色・声・香・味・触・法(しき・しょう・こう・み・そく・ほう)ということになります。
ちなみに、この6種類を六境(ろっきょう)とも言います。
六根との対応関係を図で現しますと、
- 眼→→→→色
- 耳→→→→声
- 鼻→→→→香
- 舌→→→→味
- 身→→→→触
- 意→→→→法
ということですね。
1.の「色」は「物体」という意味です。眼が捉える対象が物体であるということですね。6. の「法」は「存在」という意味です。
インドで「法」というときに、大きくは、「教え」という意味と、「存在」という意味の二通りがあるということは、以前に、「無常なるものは苦であり、苦なるものは無我である」という記事の、「諸法無我」のところでご説明いたしました。
*法=ダルマ(サンスクリット語)、ダンマ(パーリ語)
ここまで大丈夫ですよね?やはり難しいのは漢字だけだと思います。笑
十八界(じゅうはちかい)
勘の良い読者ならもうお気づきだと思いますが、上記の六根+六境=十二処に、認識界の6種類を足した合計18種類の世界のことを十八界と言います。
認識界は、眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識(げんしき・にしき・びしき・ぜっしき・しんしき・いしき)の6種類です。
また、この6つを六識(ろくしき)ともいいます。
対応関係を全部、整理してみますね。
-
眼界→→眼識界→→色界
-
耳界→→耳識界→→声界
-
鼻界→→鼻識界→→香界
-
舌界→→舌識界→→味界
-
身界→→身識界→→触界
-
意界→→意識界→→法界
ということで、合計、十八界になりますね。
ちなみに、以前、出てきた五蘊(ごうん)と十二処、十八界の3つを三科(さんか)と称したりします。
*六根・六境・六識の3つで三科という場合もある。
ね?やっぱり難しいのは漢字だけでしたよね?笑
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