前回の続きで、今回はシリーズ10回目です。
*シリーズ初回からお読みになりたい方はこちらから→「般若心経」の悟りを超えて -①
*『般若心経』全文はこちらから→祈り/読誦
受想行識 亦復如是
読み:じゅそうぎょうしき やくぶにょぜ
現代語訳:感受作用、表象作用、意思作用、認識作用もまた同じ(空性)である
「受想行識(じゅそうぎょうしき)」とは、”五蘊(ごうん)”のうちの4つを指すのでした。
復習したい方は、第5回めを参照ください。
亦復如是(やくぶにょぜ)」とは、「またかくのごとし」つまり、「それもまた同じである」という意味です。
すなわち、
受想行識も、「色即是空 空即是色」と同じように理解せよ、ということですね。
したがって、
「色即是空」を受けて、五蘊(ごうん)を並べていけばよい、ということになります。
つまり、
- 色即是空 空即是色
- 受即是空 空即是受
- 想即是空 空即是想
- 行即是空 空即是行
- 識即是空 空即是識
となります。
2.以降を現代語訳しておきますと、
2. 感受作用も実体ではない(空性である)、実体ではないものが(空性が)感受作用を形成している
3. 表象作用も実体ではない(空性である)、実体ではないものが(空性が)表象作用を形成している
4. 意思作用も実体ではない(空性である)、実体ではないものが(空性が)意思作用を形成している
5. 認識作用も実体ではない(空性である)、実体ではないものが(空性が)認識作用を形成している
と、このようになります。
なんだか難しくなってた!という方は2つだけに分けて理解しておきましょう
五蘊は、ざっくり2種類に分けると、
- 色:物体
- 受想行識:精神
です。
物体+精神で、とりあえずは人間のすべてが構成されています。
この2種類だけで現代語訳しますと、
- 物体はこれ空性であり、空性がすなわち物体である
- 精神はこれ空性であり、空性がすなわち精神である
というふうになるわけですね。
「何もかも空性である(実体ではない)」とまとめてもいいのですが、「〇〇は空性である」「△△も空性である」……というふうに、順番にぶった切っていくと勢いがついて、より執着がとれそう(?)です。
今回は、第5回めとほぼ同じ内容を述べています。
262文字しかないのに同じことを?という疑問もありますが、実はこのあとにもう一度出てきます(笑)。
なぜこれだけ「空性である(実体ではない)」にこだわるのか?
「念押しで執着を断ってほしい」と言えばそれまでですが、ちょっとした歴史的経緯もからんでいるかもしれません。
この点に関しましては、次回の「諸法空相」のところでご説明いたします。
続き→→「般若心経」の悟りを超えて – ⑪舍利子 是諸法空相
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