ややふしぎなユダヤ教 – ③預言と予言のメカニズム

預言と予言 違い

予言者と預言者の違い

ややふしぎなユダヤ教シリーズ3話目です。
シリーズ初回からお読みになりたい方はコチラから。
ややふしぎなユダヤ教 – ①

「予言者」と「預言者」は日本語では読みが同じですし、漢字のつくりも似ていますので、混同されやすいですが、内容的には違ったものがあります。

まず、「予言者」のほうですね。こちらはノストラダムスなどで有名なので、ご存知かと思います。

”予言者”とは、未来のことを先取りして、「このようなことが起こる」と触れ回る人のことです。

一方、「預言者」はどうか、と言いますと、

「預言」は「預かる」という漢字になっていますね。

「なにを預かるか?」というと、正解は「神の言葉を預かる」です。

「預かったままで溜め込む一方」では”預言者”と呼ばれることはないでしょう(知られないので)。

なので結局、

”預言者”とは、「神の言葉・思想を預かり、人々に伝える役割を持った存在」

ということになります。

ただ、ユダヤ教の流れのなかで出てきた預言者はほとんどが「このままいくと、〇〇になってしまう、だから、ヤハウエに立ち返るべきだ」といったふうに、先の”予言”をしています。

後世、偽預言者か本物の預言者であったのか?は、「あの人が言っていたことは当たっていた/外れていた」で判定される面が強いので、

結局、預言者はどうしても予言者的な資質も併せ持つことになります。

まあ英語ではどちらもProphetとひとくくりにしてしまうくらいで、やっぱり区別しづらいところはありますね。

ところで、”預言者”という言葉は、ユダヤ・キリスト教・イスラム教のセム系一神教でしかみかけない言葉です。

仏教や神道で”預言者”というのは見かけたことがありませんね。

これはつまり、もとはユダヤ教的(アブラハムの宗教)文脈のなかで語られる限りの”預言者”ということで、ひとつの専門用語ですね。

なので、「私は仏陀の預言者である」などと主張すると、笑われてしまうことになるわけです。

仏教のコンテクストのなかでは使われない用語だから、です。

しかし、原点に立ち返ってみて、「預言者とはそもそも何であるか?」を考えてみると、冒頭のほうに戻ります。

預言者とは、「神の言葉を預かり、かつ、伝える人のこと」です。

もし、神というのがイスラエル民族だけの神ではなく、普遍的な神であるのならば、いわゆる”ユダヤ教”のながれ以外でも預言者は出ていなきゃおかしいのです。

現象としては、極端に言えば、他惑星の「神の言葉を預かる人」は、ユダヤ教の預かり知らぬところですからね。

地球に限ってみても、当時のパレスチナ地方とは離れたところ、つまり、

いわゆる”ユダヤ教”の流れとはべつのところに預言者がいないのであれば、その神は普遍的な神ではなく、単なる民族神であることの逆証明になってしまいます

なので、「ユダヤ教ではもう預言者はでていない」とか、あるいは、イスラム教では、「最後にして最大の預言者ムハンマド」と言ったりしますが、

それは「セム系一神教の枠内では」というカッコ付きでの説明、というふうに受け取ったほうが良いです。

「最後にして最大の」というふうに、”打ち止め”にしておけば、その後、偽預言者が出て混乱することもなかろう、ということで、ひとつの安全弁にはなるのですが、

一方、その後の預言者を認めないと、変革が必要なときでも、変革がなされにくくなる、というデメリットもあります。

今後、宇宙時代を迎えるにあたって、「地球の、パレスチナ地方の、特定の時代だけにしか預言者は出ていない」というのは、なんとも狭すぎる話で、かえって説得力を失っていくでしょう。

実際は、「神の言葉を預かり、それを伝えるもの」という(広義の、真の)預言者定義からいけば、他の地域や時代にも”預言者”はでているのが真実ですし、これからも必要とあらば連綿と出続けるでしょう。

”預言者”という特定の名称にあまりこだわりすぎると間違いが起きます。

言うまでもないですが、言葉と言葉の示している内容は直接的な関連性はありません。

どの程度、神の言葉を伝えられるか

ユダヤ教のながれでは、「神の言葉を伝える」というと、「どの程度、伝えられるのか?」という資質は問題になることはあまりないかもしれません。

しかし実際のところ、神の言葉を

  • どの程度の純度(質)で受け止められるのか
  • どれくらいの量を受け止められるのか?
  • 直接受け止められるのか?途中で通信役の天使が中継するのか?
  • どういった種類の内容を受け止められるのか?
  • 安定的に受け止められるのか?

と、さまざまな段階と種類のパターンがあります。

そして、その”量/質/中継の段階/種類/安定性は、まさに預言者個人の資質によって違いがあることになります。

たとえば、

イエスのように、「天の父」から直接受け止めるパターン、ムハンマドのように「ガブリエル」を仲介して受け止めるパターン、がありますね。

これは、中継を介するかどうか?という違いです。

伝えている教えの内容も、イエスは愛の教えを文学的に説くパターンが多い。ムハンマドは慈悲を説くが軍事戦略も伝えることができる、というふうに違いがあります。

これは質の違いです。種類の違いでもあります。

あるいは、イエスとムハンマドのたとえではありませんが、

最初は神の言葉を伝えていたけれど、預言者自身の心境が悪化して、途中から悪魔の言葉を伝えるようになった、というパターンも実はありえます。

たとえれば、預言者というのはひとつの”変電所”であるとも言えます。

唯一神のエネルギーは莫大なもので、いわば超高圧電流のようなものです。直接、地上の人間が受け止めきれるものではない。

なので、預言者がいったん受け止めて、電圧を落として、地上の人間に電気の供給をしている、といった具合です。

預言者自身が唯一神のエネルギーを直接受け止められない場合は、途中に”中継”が入ります。これが、通信役の天使ガブリエルである、と、セム系一神教では理解されていますね。

実際は、天使ガブリエルに限らず、さまざまな天使が中継に入るパターンがありえます。

これも預言者自身の資質や霊格によっても変わってきます。

預言者の定義を限りなくゆるく設定すると、「自分の守護霊の言葉を語ることができる」というのでも、

その守護霊が、いくつかの中継を介して、唯一神とつながっているのであれば、小さくとも「神の言葉」を伝えていることになります。

そうすると、守護霊と同通している程度の善人であれば、「みんな預言者」というふうに解釈することも可能です。

まあ…ここまでひろく解釈すると、そもそも”預言者”という用語を使う意味がどこにあるのか?という世界に入ってしまいますけどね。

しかし、本質論としては、このようなものです。

預言のメカニズム

セム系一神教の枠からはいったん離れますが、

たとえば、ノストラダムスとか黙示録のヨハネとか、予言者がおりますね。

彼らも、未来のビジョンを頂いて伝えている、という意味では預言者であるとも言えます。

そして、彼らの伝え方を見てみると、ずいぶん映像めいていると言いますか、ひとつひとつがショートムービーのようでもありますね。

あるいは、エドガー・ケイシーなどがリーディングをして過去世のことを語ることもあります。

この場合も、ビジョンを伴って語られることが多いでしょう。

そして実際のところ、このビジョンが謎解きを伴っていて、「分かりにくい」という面があります。

ここのところは、預言(予言)のメカニズムを理解する上で、とても大事なところです。

実際は、「予言」とか「リーディング」というのはじつに難しいもので、ほとんどは当たりませんし、噂話や趣味の域をでません。

さきほど、「預言者は唯一神の言葉を中継する」と書きました。

実はこの「中継の仕方」が問題なのです。

今、仮に中継の具合が下記のようであるとします。

 神→天使A→預言者→地上の人々

この場合、預言者が受け取ることができる内容というのは、天使Aの資質にずいぶん左右されることになります。

これは今までの流れから、お分かりですよね。

それから、

天使Aの資質(霊格と言ってもいいです)だけではなく、天使Aのその時々の主観もけっこう関わってきます

そして最終的には、

預言者自身の資質と、その時々の主観も絡んできます。

そうすると、ずいぶん変数が多いことに気づきますよね。

たとえば、天使Aが「私は全知全能の神である、あなたがたの主である」というふうに語る場合があります。

これは一概にウソを言っているわけではなくて、唯一神の言葉を中継して伝えているという意味では真実であると言えますし、

また、天使Aがメジャー(名前が知れている)でない場合、「私は天使Aという者で」と自己紹介(?)しても、預言者はもとより、地上で聞く人にとっても、まったく権威をもたないパターンがありえます。

そうすると、そもそもの「神の言葉を伝える」という使命が果たせなくなりますので、そうであるならば、「私が全知全能の主である」「天使ガブリエルである」というふうに自己紹介したほうが良い、という判断が働く場合があります。

これは、嘘というより方便ですね。

あとは、方便と言えるかどうか?微妙なところでは、

天使Aや預言者自身にも、「こういうふうに思われたい」という、ちょっとした名誉心が働くケースもあります。

これは悪と言えるかどうか、微妙なラインで、悪と言い切ってしまうと酷な場合もあります。

やはり、天使と言えど、修行途上にありますので、ある意味での”自己実現欲求”というのが推進力になっていますね。

そうすると、さきの”方便”とあいまって、(場合によっては)「全知全能の主から通信を受けている」と言ったほうが良いケースもあります。

そこに名誉心が絡んでいる、と突っ込みすぎるのも酷でしょうし。

しかし、判定が甘すぎて、

実際は、神ではなく、悪霊の言葉を伝えているのに、「神である」ということは、これは完全なウソ、悪の範疇に入ってしまいます。

過去世などはとくに変数が多くなります。

霊的な世界観の証明のために、そういうことを明かすこともありますが、

一方で、預言者(あるいは一般の人でも)自身の「こうであったらいいな」という願望が入ることがあります。

それがイメージングに影響して、たとえばフランス好きであれば、「500年前にフランスで姫として生きていた」みたいな、ふうに変形していくことがあります。

そもそも、このイメージを伝えている”伝え手”の「こう伝えたい」という願望が混じっているケースがほとんどです。

それから、イメージングをこの世の出来事に翻訳する段階も入ってきます。

イメージを受け取っても、「どの時代のどの地域のどの職業の……」というのは、受け取り手自身の今現在の知識量にかなり左右されてきます。

実際、スピリチュアル業界をのぞいてから、

「◯百年前にあなたはドイツの修道院で…」みたいなことを何度か聞いていますが、

世界史の知識があると、「その時代にはまだドイツには修道院はないんだけどな」

みたいな。

けっこうこういうことがいっぱいありますので、こういう経験を繰り返していくと、だんだんリーディングそのものに興味をなくしていく感じはありますね。

あまり生産性がないと言いますか、これも一種の”メサイアコンプレックス”で、

そうであるならば、そんなことを気にしているよりも、良書を一冊でもきちんと読んでいる方が実際は、”スピリチュアル的にも”有効であったりします。

あとは、予言については、近未来についてあまりに生々しく語ると時代によっては死刑になったりしますので、あえてボカして語る、ということもあるでしょう。

まあ、今回は、預言者の話からだいぶ拡がってしまいましたが、これは結局、”預言者”というのをどう定義するのか?で、その意味内容が無限に変わってきてしまう、ということでもあります。

結局、私が思うに、同時代に派手に見えても、思想性で付加価値のない(少ない)ものは後世に残らないのです。

カントの同時代に、スウェーデンボリという霊能者兼科学者がおりまして、霊界物語で当時はずいぶんインパクトがあったようですが、

今、

  • カント
  • スウェーデンボリ

と並べてみても、カントは「名前は聞いたことがある」人がほとんどだと思いますが、スウェーデンボリについてはよほどスピリチュアルに関心がある人しか知らないでしょう?

あるいは、カント自身がスウェーデンボリについて本を書いていますので、むしろ、カント著作経由でのほうが知られているくらいだと思います。

カントはもちろん哲学者ですが、もし、カントの思想が真理を含んでいる、すなわち、唯一神から流れてきているものをカントが受け止めて発表をしているのであれば、「カントも預言者」と言うことができるでしょう。

定義を絞り込んでいけば、ですけどね。

同時代はともかく、この知名度の違いは、使命の違いといったらそれまでなのですが、

やはり、カントの思想性ですね、後世に多くの付加価値をもたらした思想性の高さ、これに尽きると思います。

ちょっと今回は、だいぶ話に拡がりが出すぎたきらいがありますが、なにか参考になれば幸いです。

続き→→ややふしぎなユダヤ教 – ④知恵の木の実を食べてはいけない理由

 

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