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悟り(菩薩)五十二位でチェックする狭義の菩薩と広義の菩薩

菩薩52位

ネオ仏法では、繰り返し、「私たちはその気になれば、今回の人生でも菩薩(天使)になることができる。狙わないのはかなりもったいないことです」と述べています。

その私が申し上げている”菩薩(天使)”とは、広義の菩薩のことです。狭義の菩薩、菩薩界の住人になるのは、正直、かなり厳しいです。

私が観たところの感覚では、一定の悟りを腑に落とした上で、現象界(この世)のことでは心が揺れず、かつ毎日毎日、心に去来することは利他であり、実際にも数万人を指導できるくらいのリーダーシップが必要です。

スピリチュアル界でも菩薩や天使を名乗っている方々が数多くいらっしゃいますが、私の観察した範囲内では、狭義の菩薩界の境地を保持している(つまり、死後、菩薩界に還ることができる)人は、ほぼゼロです。

…かなり、元も子もない話ですが、実際そうなのでしょうがないですね。でも、それだけの難しさだからこそ価値があるということです。

そういうわけで、もっと手堅いところ狙いましょう、と申し上げているのですね。

それでは、広義の菩薩になるのは簡単なのか?ということですが、「ある意味、かんたんで、ある意味、難しい」というのが答えです。

「それでは、答えになっていない」と思われるかもしれませんが、結局、先の話で言えば、「心境を平均値まで維持するのが難しい」ということなのです。でも、やってやれないことはない、ということです。

菩薩になる方法を下記の記事で分かりやすく解説していますので、ぜひ参照なさってください。

*参考記事:人生の意味とミッションとは? – 最勝の成功理論を明かします

華厳経ほかで分類している菩薩五十二位を概観してみる

仏典において、菩薩の位がどのように分類されているのか、少しチェックしてみましょう。

予め言っておきますが、覚える必要ないです(笑)。

学者さんや仏教教学そのものをライフワークにしている方なら覚えたり、異説を覚えてみるのもいいかもしれませんが、私たちが目指しているのは、「本当に菩薩になってしまうこと」なので。

華厳経では菩薩は下記の通り、52段階に分類されております。

  • 妙覚(みょうかく)…52位
  • 等覚(とうかく)…51位
  • 十地(じっち、じゅうぢ)…41位〜50位
  • 十廻向(じゅうえこう)…31位〜40位
  • 十行(じゅうぎょう)…21位〜30位
  • 十住(じゅうじゅう)…11位〜20位
  • 十信(じゅうしん)…1位〜10位
    *数が多いほうが悟りの段階が高いという分類です。52位が最高の位になります。

注目すべきは、十信〜十廻向を”凡”として、十地以上が”聖”と分類されている、というところです。ゆえに、十地以上は太字にしております。
*もっとも、こういった分類自体が経典によっても違っていたりするので、絶対視する必要はないです。

一番下の”十信”の1位〜10位のなかで、最下位を”信心”(しんしん)と言いますが、ウイキの説明では、「教法を信じる心。一切の妄迷を滅尽し、中道を了知し純真なること」となっています。

これは、明らかに狭義の菩薩ではないですね。当サイトでよく出てくる十界論で言えば、”声聞”よりちょっと上かな?あたりでしょう。

*参考記事:十界と十界互具 ー 仏教における”世界”の階層構造論

どうしてこうなっているかというと、これはまさに小乗仏教から大乗仏教が分かれてきた歴史的経緯が関係しています。

つまり、「自らの悟りのみを求める(最高位が、阿羅漢(アラカン))のは仏陀の本意ではない、我らは衆生救済にシフトしていくべきである」、というところから大乗仏教が始まっているのです。

*参考記事:阿羅漢と仏陀の違いとは。そして菩薩の登場 – テーラワーダ仏教批判 ②

そこで、阿羅漢という言葉を使わずに、「なんか他にいい言葉はないか?」ということで、釈尊が仏陀になる前の修行段階の名称である”菩薩”を使い始めたのですね。

仏像をみると、如来(仏陀)はシンプルな袈裟衣を着ているのに、菩薩像は宝石を身に着けていたりキラキラしいでしょう?あれは、釈尊が成道する前は、釈迦国の王子であった、というところに由来しているんです。

如来
如来像。地味……
菩薩
菩薩像。派手!!

 

 

 

 

 

そんなこんなで菩薩を名乗り始めたのは良いんですが、大乗仏教の実践者が誰も彼も狭義の菩薩であるはずもなく、なかには信心をはじめて教学を学び始めたばかりの人もいるわけです。

そういう初心者を菩薩五十二位の一番下の方へ分類しているわけなのですね。

そういうわけで、大乗仏教国である日本や中国で”菩薩”と言っても、カバーしている範囲が非常に幅広いのです。

最下位の菩薩になるのは楽勝か?

現世での心のあり方、境涯が来世に赴く場所を決める、と当サイトでは繰り返し述べております。

”現世での心の境涯”とは何かというと、「一生涯を通じた心境の平均値」のことです。

声聞から縁覚をとりあえず広く阿羅漢としましょう。そして阿羅漢向と阿羅漢果があるというお話もしたことがあります。

*参考記事:四向四果とは本当に仏説か?- 解脱の解釈に問題がある

超ざっくり、復習しますと、

  • 阿羅漢果…実力、アラカン
  • 阿羅漢向…気分、アラカン

ということでした。

この「阿羅漢向」がほぼ声聞に相当すると考えていいです。先ほどの、”心境の平均値”で言うと、声聞は「智慧の獲得を求めるという思いが、心の癖・傾向性にまでなっている」ということになるのです。

こう考えるとけっこう難しいでしょう?

今年(2016年)の5月から当サイト”ネオ仏法(旧:スピ哲)”を始めました。今は10月初旬ですから約5ヶ月ですね。

この5ヶ月間、ずっとネオ仏法の投稿を待ち遠しく読んでくださっている方がどれだけおりますでしょうか?

もちろん、別にネオ仏法の記事じゃなくても良いのですが、5ヶ月間だけでも、「智慧の獲得を求める心」が心境の平均値になっているか?とチェックしてみれば、お分かりかと思います。難しいでしょう?

でも、不可能ではない。

そう、不可能ではないのです。むしろ、積極的に「可能である」と考えるべきです。

そして、声聞の心境が心の癖・傾向性にまで育てることが出来れば、少なくとも阿羅漢果へは還れるわけです。つまり、広義の菩薩(天使)になることができるということですね

霊界の裏事情から見た広義の菩薩

これは、声聞クラス以上、つまり、菩薩・天使研修生の天上界での仕事が何であるか、というところにも関わってくるのです。

声聞クラスになると、ある程度、真理の知識を持っていますので、「ご飯を食べなくても生きていける。したがって、地上的な仕事はする必要はない」というあたりはもちろん悟っているわけです。

それでは何をして暮らしているのか、一つだけ申し上げると、浅い地獄界や地上の浮遊霊を救済すること、が仕事してあるのです。

ところが、この世にいるときみたいに”普段着”の格好をして救済に行っても、いまいち説得力がないでしょう?

これはなんとなく、お分かりかと思います。やはり、「いかにも菩薩(天使)」という姿形のほうが説得力がありますよね。

そういうわけで、一種の”コスプレ”をして赴くわけです。説得力を持たせるわけです。

馬鹿馬鹿しいと思われるかもしれないですが、そのようにしないと、そもそも説得を始めること自体が難しくなってしまいますので。

天使

また、そういったコスプレ=プロテクターがないと波動が合わないので一緒に居られないという理由もあるのですけどね。

私たちが、海に潜るときに潜水服を着ていくイメージですかね。

仏教に縁のある地獄霊なら観音様の格好をする。キリスト教に縁のある地獄霊には羽の生えた天使の格好をする。神道なら神主様みたいな格好ですかね。

もっとも、あの世は「想いが即実現する」世界ですので、ふだんから羽を生やして天使の格好をしているスピリットもけっこういるのではないかと思います。これは”趣味”の問題です。

このように、「仕事として説得力のある格好をする。名乗りをあげる。そのために広い意味で天使や菩薩を名乗ることも許されている」という裏事情でした。

いろいろ書きましたが、私が言いたいことは、

  1. この世(現象界)は仮の世界であって、あの世(実在界)が本当の私たちの住処である。そうであるならば、本当の成功・自己実現とは、実在界での境涯を上げていくことにあるはずである。
  2. そのメルクマールとして、まずは広義の菩薩(天使)を目指しましょう。ここの階層なら今回の人生だけでも十分に狙えます。手堅く行きましょう!

ということです。

広義の菩薩になるために、ネオ仏法ではその最短距離の方法を下記のリンクからご提供しております。完全無料なので、ぜひこの機会に入手してくださいね。

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