究竟涅槃

涅槃

涅槃はいかにして実現できるか?

前回の続きで、今回はシリーズ26回目です。
*シリーズ初回からお読みになりたい方はこちらから→「般若心経」の悟りを超えて -①
*『般若心経』全文はこちらから→祈り/読誦

究竟涅槃

読み:くぎょうねはん

現代語訳:涅槃を窮(きわ)め尽くすことができるのだ

”究竟”とは、「最後に行き着くところ。窮め尽くした最高・無上の」という意味です。

直訳すると、「究竟涅槃する」となりますが、若干意味が取りづらいので、「涅槃を窮め尽くすことができるのだ」と訳しました。

コンテクスト(文脈)的には、「菩薩は、般若の智慧(=空観)によって、〜〜 一切の迷妄を離れ、涅槃を窮め尽くすことができるのだ」という流れです。

では、涅槃とはなにか?ということが問題になります。

般若心経の解説書を読んでも、「執われのない自由自在な境地〜」というふうにコンテクスト的に解説しているか、

あるいは、「一切の感覚的世界を離れた境地」という説明の仕方で、もちろん、間違いではないのですが、どうにも消化不良のところがありますよね。

「で、涅槃って結局、どういう状態なの?」というところが、サッパリ分からないのです

これはやはり、「涅槃をどこまでも言葉の上でしか捉えることができていない」というのが原因です。

涅槃とはもともと、パーリ語の”ニッパーナ”(サンスクリット語では”ニルヴァーナ”)の音写で、「(煩悩の)火を吹き消すこと」という意味です。

煩悩の火を吹き消したあとに現れてくる清々しい境地ですね。

なので、上述の「執われのない自由自在な境地」という定義はまったく正解ではあります。

問題は、

  1. どうして般若の智慧によって、涅槃の境地に至ることができるのか
  2. 涅槃の境地とはもっと具体的にどういう状態を言うのか

というあたりでしょう。

1.については、一切を空(くう)である、現象に過ぎない。般若の智慧から観れば「無い」と言える。無いものに執着することができるだろうか?できはしまい。…というのが優等生的な答えではあります。

もちろん、これは正解です。

しかし反面、「無い!」!無い!」といくら唱えていても、なかなか煩悩の火を吹き消すことができない、というのも私たち凡夫の常ではありますね。

これは結局、いまだ現象界の立場から、空想的に、実在に立脚した”つもり”でいるので、なかなか煩悩から脱却するのが難しくなっているのです。

般若の智慧、空観(くうがん)というものは、それだけではなく、もっと我が身に向き合うように叩きつけていかないと、なかなか身につけることは難しいです。

ではどうすれば、我が身に向き合えるのか?

それはやはり、実存としての自己、生涯の先にあるところの”死”に向き合うことです。

概念的な死ではなく、実存的な死ですね。こうした自分固有の死と正面から対決することが肝要です。

それではいかにして、実存的な死の克服が有る得るか?

それは、「死を超えた価値観」を味方につけることです。これがキィポイントです。

言葉を換えれば、不死・永生の立場に立つことです。

本来のあるべき世界、実在界ですね、かんたんに言えば「あの世」ということになりますが、あの世の存在を信じ、自己の生命があの世においても存続していくこと、これを信じる。

そして、本来的世界であるところの実在界の観点から、今の現象界にいる自分を逆照射してみる

言い換えれば、実在界の価値観・真理スピリチュアルの価値観でもって現象界を生きていけること。および、その心理的状態が涅槃なのです。

 *涅槃論については、ある程度まとめて書いた記事がありますので、こちらも参考になさってください。
 *参考記事:上座仏教(テーラワーダ仏教)では悟れない理由 – ④ 涅槃の解釈に誤りがある

実在界ということろは、地獄領域以外は、程度の差はあれ調和した世界ですので、肉体は現象界(この世)にあっても、こころ・精神が実在界に立脚していれば、こころの調和は実現することができるのですね。

涅槃にも段階論がある

さて、実在界・真理スピリチュアルの価値観でもって現象界を生きていけること、またその平穏な心理状態が涅槃である、というお話をいたしました。

実際は、悟りを得た人が肉体の死を迎え、その後の平安な状態へ移行することも涅槃の定義のひとつではあります。

「肉体が残っていない=肉体を余らせていない」ので、無余涅槃(むよねはん)と言います。

一方、「肉体を持ったまま=肉体を余らせているまま」の涅槃を、有余涅槃(うよねはん)と言います。

今回、申し上げているのは、後者の方、有余涅槃について、です。

実際は、有余涅槃が出来ていなければ、無余涅槃もありえませんので、あまり区分する意味はないとも言えます。

ただやはり私たちは現象界において、さまざまなマイナス条件のもとで生きておりますので、そうしたマイナス条件のなかでも真理スピリチュアル価値観を維持することができるという有余涅槃ですね、

これはやはり相当価値が高いと言えるでしょう。

その心境を”平均打率”として維持しきったご褒美に無余涅槃がある、と言うことも可能であるかもしれません。

話を戻しまして、

実在界の真理スピリチュアル的価値観をもって現象界を生きていける境地が涅槃である、ということでしたね。

これは言い換えれば、自分が本来所属していた実在界の境地を現象界においても味わえる、ということでもあります。

ところが、実際は、”実在界のどこの段階に所属していたか?”という観点もありますよね。

*参考記事:天台智顗(てんだいちぎ)の十界 ー スピリチュアルな出世の段階一覧

たとえば、天界出身の人が現象界においても天界の境地を味わえる。これも涅槃であると言えます。

その他の段階論においても同じです。
*もっとも、地獄領域(地獄・餓鬼・畜生・修羅)は除きます。

ということは、実際のところは、「涅槃にも段階論がある」ということが言えそうです。

天界的涅槃、声聞的涅槃、菩薩的涅槃…という具合です。

これは従来の仏教学にはなかっであろう、新しい涅槃観です。

かんたんに言えば、「それぞれの人に、その人なりの涅槃がある」ということです。

やはり、究極の悟り、仏陀の悟りを今回の人生だけでゲットする涅槃、というのははっきりと無理があります。

ただし、「元々、天界出身だった人が今世がんばって声聞的涅槃を実現する」ということはあり得るでしょう。

あり得る、というよりも、現象界が修行の場であるならば、むしろその方向を目指すべきです。

それでこそ、現象界が用意されている意義があるというものです。

いわば、アップデート涅槃、とでも言いましょうか。

むしろ、その観点において、究竟涅槃。涅槃を窮め尽くす、ということにポイントを置くのが良いでしょう。

究極の悟り、仏陀の悟りを最終目標に置きながらも、今回の人生でベストな悟りの状態、その心境を維持していくということです。

今回の主要論点は、ここですね、アップデート涅槃。自分なりの涅槃を善方向へ更新していくこと、でした。

続き→→「般若心経」の悟りを超えて – ㉗三世諸仏

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