無我– tag –
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仏教
無我と輪廻転生 – 魂の永遠性についての考察
「無我と輪廻転生」がなぜ問題になるかというと、「仏教は無我を説いているのだから死後の霊魂を否定している」という言説がいまだにまかり通っており、そうすると、「魂という輪廻の主体がないのだから、輪廻説と矛盾してしまうのでは?」というところに... -
仏教
四諦八正道と縁起 – 「正しい」とはつながり(縁起)のこと
四諦と八正道については今までいくつかの記事に書いてきました。 特に、以下の参考記事が、自分で言うのもなんですが、良くまとまっていると思います。 *参考記事1:四諦八正道のわかりやすい解説と覚え方 *参考記事2:八正道の順序と覚え方のコツ – 中... -
仏教
唯識とは何か?ー 簡単に分かりやすく解説バージョン
唯識(ゆいしき)は中観派の「空の思想」と並んで、大乗仏教教学の二大潮流のひとつです。 と言っても、中観派と対立するものではなく、むしろ、「空の思想」を新たに再解釈したものなのですけどね。 ともあれ、「唯識三年、倶舎八年」と言われるほど、理... -
仏教
自我と無我の違いとは何か?
自我と無我の違い、というとまずは仏教のおける論点が気になるところです。 「自我」は心理学などでも使われている言葉ですが、「無我」はほぼ仏教用語ですからね。 そういうわけで、今回は主に仏教における自我と無我の違いはいかなるものか?について書... -
仏教
三法印の究極の到達目標とは?- 三法印の発現段階と新時代の三法印
三法印については、「仏教であることの旗印」ということで、今までいくつかの記事で言及してまいりました。 仏教の旗印であるということは、すなわち、仏教が目指すもの、仏教の到達目標であると言えますね。 今回は、まずはストレートに「三法印とはそも... -
キリスト教/ イスラム教/ユダヤ教
「心の貧しい人は幸いである」は誤訳なのか? – ギリシャ原語、英訳から考えてみる
「心の貧しい人は幸いである」は、一般に「山上の垂訓」あるいは「山上の説教」と呼ばれるイエスの説法のなかの一節です。イエスの教えの中でも、もっとも有名でかつ格調が高い説法でしょう。 まずは、「山上の垂訓」全体を新約聖書(新共同訳)から引用し... -
仏教
無我と無私の違い – 実践論としては、無我=無私の理解で良い理由
無我と無私については、字面も似ていますし、無我(我が無い)、無私(私が無い)ということで、意味的にもほとんど同じに見えるでしょう。 ただ、ネットで検索すると、「無我と無私は違う」という意見が大半ですし、また、無我は仏教用語であり、無私はど... -
仏教
解脱したらどうなる? -「輪廻から抜け出す」は誤りである理由
今回は仏教および仏教学の中でも、最大級に理解ミスがあると思われる「輪廻転生と解脱」というテーマで語ってみたいと思います。 この「現脱したらどうなるか」問題は単なる「そういう解釈もありますか」というレベルの話ではなく、仏教を宗教として成立せ... -
仏教
三法印と四法印の違い – 一切皆苦と涅槃寂静でどう違ってくるのか?
どの宗教でも、その宗教特有の特徴というものがあります。 仏教では、他の宗教(バラモン教や六師外道の教え)との違いを明確化するために、「これこそが仏教であるという印(シルシ)、旗印」として、三法印(さんぽういん)あるいは四法印(しほういん)... -
芸術/アート
芸術と哲学の関係 – イデーの模倣としてのアート
ネオ仏法では、音楽や絵画など芸術・アート全般も「真理スピリチュアルの表現形態のひとつ」、という位置づけをしています。 まず、真理(実在)というものが先立ち、その具体的展開(現象)として政治や経済、学問、芸術などのさまざまな人間的営みがある... -
スピリチュアリズム//自己啓発
”ないないの神様”のご利益パワーとは!?
今回は当サイトとしては珍しいトピックを採りあげます。 ずっとネオ仏法をお読みくださっている方にとっては、「高田はどうかしちゃったのではないか?」と思われるかもしれませんが、記事後半からいつもの調子に戻しますので、ご安心くださいませ。 ”ない... -
仏教
仏教は霊魂を否定していない – 無我説解釈の誤りを正す
今回のテーマ、「無我」については、仏教において最大に誤解されている概念のひとつだろうと思います。それは、現代でもそうですし、過去の仏教史でも幾度も出てきた問題です。 その誤解とは、「仏教は無我を説いたのだから、死後の存在、霊魂を否定した」... -
『般若心経』の悟りを超えて
心無罣礙
前回の続きで、今回はシリーズ23回目です。 *シリーズ初回からお読みになりたい方はこちらから→「般若心経」の悟りを超えて -① *『般若心経』全文はこちらから→祈り/読誦 心無罣礙 読み:しんむけいげ 現代語訳:心にひっかかりはない 罣礙(けいげ)は... -
『般若心経』の悟りを超えて
「色即是空 空即是色 」の意味-『般若心経』の悟りを超える
前回(色不異空 空不異色 の意味 – ”空”に時間論を織り込む)の続きで、今回はシリーズ9回目です。 *シリーズ全体の目次はこちらから→「般若心経」の悟りを超えて *『般若心経』全文はこちらから→祈り/読誦 シリーズ物ではありますが、この記事を読... -
『般若心経』の悟りを超えて
色不異空 空不異色 の意味 – ”空”に時間論を織り込む
前回(舎利子 – 道化役のシャーリプトラ))の続きで、今回はシリーズ8回目です。 *シリーズ初回からお読みになりたい方はこちらから→摩訶般若 – 仏教的グノーシスの経典としての『般若経』 *『般若心経』全文はこちらから→祈り/読誦 「空である!」とい... -
芸術/アート
” I Me Mine(私が、私に、私の)”にうんざりだ、とハリスンさんが
*画像はフィルタリングで「再使用を許可されたもの」を使用しています I Me Mine(私が、私に、私の) "I Me Mine"というのは、ビートルズのラストアルバム”Let it be”に収録されているジョージ・ハリスンの楽曲です。 "I Me Mine"は和訳すれば「私が、私... -
科学/心理
瞑想(マインドフルネス)で、うつ・不安障害を克服する方法
マインドフルネスを実践する前段階の”準備マインド”から始めてみましょう。 まずは、「そもそも、この世に生きることはストレスフルなものなんだ」ということを認めるところから始めます。 ここのところを、「人生は喜びに満ちているはず!」という前提か... -
科学/心理
仏法・真理の探求と、神経症的ジレンマ
貧・病・争 むかしからよく「貧病争」と言いますが、宗教やスピリチュアルを探求するきっかけですね、これが、 貧=経済的苦境 病=病気・体調不良 争=人間関係の不調和 この3つであることが多い、と言われています。 自分自身、振り返ってみても、家族... -
仏教
仏教の無我の境地とは「没個性」という意味ではない
無我について、今回は実践論的な観点で書いてみます。 死後、群魂の中に溶け込んでしまうわけではない 無我について、一般的に勘違いしやすいのが、「自我を滅却するのだから、個性がなくなってしまうこと?」という解釈かな、と思います。 実際、マインド... -
テーラワーダ仏教批判
涅槃(ニルヴァーナ)に達するとは?わかりやすく意味を解明する– テーラワーダ仏教批判④
テーラワーダ仏教批判の第四回目です。 *シリーズ全体はこちらから⇢テーラワーダ仏教批判 今回の「涅槃論」がおそらくは、上座仏教(テーラワーダ仏教)が釈尊の本意を誤解しているところの最大の論点である、と考えています。 涅槃=甘露=不死の等式 ... -
テーラワーダ仏教批判
仏教と倫理を巡る問題 – 有漏善と無漏善についての考察
福徳を積むことは解脱・涅槃に資さない?? テーラワーダ仏教批判の第三回目です。 最近、『大乗非仏説をこえて: 大乗仏教は何のためにあるのか』(大竹晋・著)という本を読んだのですけどね。仏教に興味がある人にとっては結構話題になっている本であるよ... -
生活/ライフハック
虫や動植物を殺したらスピリチュアル的に罪になるのか?
殺生(せっしょう)については、メジャーな宗教では必ず「殺生戒」という戒律があって、戒められていますね。 ただ、殺生すなわち「殺す」というのが、どこからどこまでの範囲であるのか? 各宗教によっても定義が違いますし、あるいは「無宗教である」と... -
仏教
三法印瞑想でこころの安らぎを得る(諸法無我編)
「三法印瞑想でこころの安らぎを得る(諸行無常編)」の続きです。 諸法無我(しょほうむが)とは 諸行無常が、おもに時間軸のなかで、「変転・変化」を観じていくのに対し、諸法無我は、おもに空間軸のなかにいる”われ”を認識していく方法です。 …という... -
仏教
無常・苦・無我(三相)とは?仏教学通説の誤りを正す
無常・苦・無我(三相)とは? 仏教の中心的思想でありながら、仏教思想に流れている毒水があります。それが無我説に関わってくるのですが、今回は「無常・苦・無我」ですね、この3つを文字通り”三相”と言いますが、仏典の一節を手がかりに探ってみます。 ...
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